ぶっちの超波乱万丈でも幸せ日記

超波乱万丈の人生をブログに書き下ろしていきます!

ダメ人間から学べ!!第3章

中2になり、ここから少しづつずれ始めます。相変わらず野球は真面目にやってました。しかし、僕の中で突っ張って人にこいつすげーな!と言われたいと勘違いし始めます。近所の先輩にかなりの悪がいて、先輩と言うか、近所の幼馴染で年も1つ上、だから友達みたいなものでした。その先輩が明日隣の中学校に殴り込みに行くと言う情報を聞いて、確認したところ、1人で行くと言っていました。かっこいいと思ってしまいました。ビーバップハイスクールが流行っていた時代でしたので、憧れもありました。

そして翌日僕も一緒に行く事になり、授業を抜け出し隣の中学校へ行きました。

もちろん2人ともボコボコになり帰ってきました。こっちは2人。向こうは記憶にもあまり残っていないですが、2.30人はいたかと思います。それで、昼過ぎに家に帰るか、どコカの公園で時間潰すのかと思っていたら、その先輩が学校に行くと言うので、マジかと思いました。結局学校へ行き、もちろん生徒指導室に直行。後日先生に告げられたのが、停学でした。中学でも停学ってあるのと思いでしょうが、あるんです。

実際には、停学ではなく出席停止です。教育委員会が保護者に対し出席停止命令を出すらしいです。出席停止中は担任が毎日家に訪問してきました。僕はその時だけはものすごい反省し、また同じ事を繰り返す性格でしたので、すごく反省をしていました。

停学が終わり、学校に登校してもしばらくはみんなと別の教室で個別指導でした。部活は毎日走ってばかりの罰を受けました。クラスのみんなは僕が停学になったことは知りませんでした。怪我で休んでいることになっていたみたいです。今でも知らない同級生はいます。そんなこんなで中学生活を続け、相変わらず野球は真剣に取り組んでいました。ですが、やんちゃな気持ちは抜けませんでした。髪の毛を染めてみたり、夜中にバイクに乗ってみたり、学校にはバレませんでしたが。そして3年になり、部活も終わり、受験に向けて勉強を多少はしていました。地元の高校にいければ野球部くらいあるだろうと、とりあえず地元の高校に入ろうと思っていました。ですが担任と部活の顧問に呼ばれ、進路のことで話があると呼び出されました。行ける学校がないと言われると思っていました。ですが違いました。告げられたのが、某野球強豪校からの特待の話でした。僕なんかがと思いました。当時の学校がどのように高校に資料を送っていたのかはもちろん分かりませんが、担任に今のお前のままでは行かす事はできないと言われました。当然です。これから心を入れ替えなければお前を特待で出すことは出来ないと。

もちろん入れ替える気持ちで答えました。

 

続きは、第4章で書きます!!