ぶっちの超波乱万丈でも幸せ日記

超波乱万丈の人生をブログに書き下ろしていきます!

ダメ人間から学べ!!第4章

せっかくいい話をもらったのに、結局学校見学で全寮制と言われ、それが嫌で、地元の高校に進学することを選びました。高校生になり、もちろん部活は野球部です。

野球部に入った当初はもちろん夢は甲子園でした。高1は野球に夢中になり1年生でレギュラーに。充実してました。高2、通っていた高校が地元でも有名なヤンキー高でもあった為、高校時代の友達はほぼ悪ガキでした。次第に自分もそんな悪の色に染まっていき、2年で初の停学。しかも3回。もちろん野球も思うように出来なくなり、あれだけ頑張っていた野球を捨て退部。朝、行ってきますと家を出ては登校途中の公園でシンナーを吸う日々。学校も昼から登校し、親もなんども呼び出しをくらう。お袋にはしょっちゅう怒られていましたが、親父に怒られた記憶はあまりありません。ですが、野球を辞めたいと言った時、初めて親父に殴られました。初めてでした。そして親の気持ちも知らずに家出。1ヶ月近く家出しました。近所の同級生Hが頻繁に僕と親との間に入ってくれて、安否確認や、着替えなどを持ってきてくれました。はじめは、、地元の駅に溜まり場があり、そこの非常階段の上で、中学の時の野球部の先輩が寝袋を持ってきてくれて寝泊まりしていました。寒い時期だったので、その先輩が夜中に寒いだろ?と

コンビニでおでんを買ってきてくれたりしていました。1週間くらいそこで寝泊まりし、お風呂に入りたくなったので、友達の家を転々とし始め、近所のHとも会いながら着替えをもらう日々を続けていました。そんなある日、Hが着替えを持ってきてくれた時親父からの手紙をもらいました。手紙には、

 

お前の人生だ、お前のやりたいように生きればいい。ただお母さんを悲しませるのだけは勘弁してやってくれ。可能ならこの日のこの時間にここの駅にいるから一回話をしよう。

 

とだけ書いてありました。

 

もちろん怒られる。殴られる覚悟で指定の日時に駅に向かうと、親父がいました。

親父は自営でトラックに乗っていたので、親父のトラックだとすぐ気づきました。

トラックに乗ると親父は笑顔で、元気そうでよかった。と一言。僕に怒ることもなく、今日は仕事が忙しいから、一緒に手伝ってくれ。と言われ1日手伝いました。帰ってもお袋も何もなかったかのように接してくれ、こんなに親不孝なのに。と切なくなりました。学校も退学届けも出さずにそのままだったので、登校を再開すると、生徒指導室に呼ばれ、強制退学を言い渡されました。翌日お袋と一緒に学校へ行くと担任の先生が、一緒に校長室に来てくれと言うので、お袋と3人で校長室に向かいました。

退学の手続きかと思い向かうと、担任の先生が

こいつは本当はこんなやつじゃないんです。今回だけは許してもらえないでしょうか。と校長先生の前で土下座までしてくれて訴えてくれました。自分は泣きながら、立ち尽くすことしかできませんでした。結局、退学になってしまいました。

 

続きは第5章 就職 で書きます。

ダメ人間から学べ!!第3章

中2になり、ここから少しづつずれ始めます。相変わらず野球は真面目にやってました。しかし、僕の中で突っ張って人にこいつすげーな!と言われたいと勘違いし始めます。近所の先輩にかなりの悪がいて、先輩と言うか、近所の幼馴染で年も1つ上、だから友達みたいなものでした。その先輩が明日隣の中学校に殴り込みに行くと言う情報を聞いて、確認したところ、1人で行くと言っていました。かっこいいと思ってしまいました。ビーバップハイスクールが流行っていた時代でしたので、憧れもありました。

そして翌日僕も一緒に行く事になり、授業を抜け出し隣の中学校へ行きました。

もちろん2人ともボコボコになり帰ってきました。こっちは2人。向こうは記憶にもあまり残っていないですが、2.30人はいたかと思います。それで、昼過ぎに家に帰るか、どコカの公園で時間潰すのかと思っていたら、その先輩が学校に行くと言うので、マジかと思いました。結局学校へ行き、もちろん生徒指導室に直行。後日先生に告げられたのが、停学でした。中学でも停学ってあるのと思いでしょうが、あるんです。

実際には、停学ではなく出席停止です。教育委員会が保護者に対し出席停止命令を出すらしいです。出席停止中は担任が毎日家に訪問してきました。僕はその時だけはものすごい反省し、また同じ事を繰り返す性格でしたので、すごく反省をしていました。

停学が終わり、学校に登校してもしばらくはみんなと別の教室で個別指導でした。部活は毎日走ってばかりの罰を受けました。クラスのみんなは僕が停学になったことは知りませんでした。怪我で休んでいることになっていたみたいです。今でも知らない同級生はいます。そんなこんなで中学生活を続け、相変わらず野球は真剣に取り組んでいました。ですが、やんちゃな気持ちは抜けませんでした。髪の毛を染めてみたり、夜中にバイクに乗ってみたり、学校にはバレませんでしたが。そして3年になり、部活も終わり、受験に向けて勉強を多少はしていました。地元の高校にいければ野球部くらいあるだろうと、とりあえず地元の高校に入ろうと思っていました。ですが担任と部活の顧問に呼ばれ、進路のことで話があると呼び出されました。行ける学校がないと言われると思っていました。ですが違いました。告げられたのが、某野球強豪校からの特待の話でした。僕なんかがと思いました。当時の学校がどのように高校に資料を送っていたのかはもちろん分かりませんが、担任に今のお前のままでは行かす事はできないと言われました。当然です。これから心を入れ替えなければお前を特待で出すことは出来ないと。

もちろん入れ替える気持ちで答えました。

 

続きは、第4章で書きます!!

 

ダメ人間から学べ!!第2章

こんにちは、ぶっちです!超波乱万丈でも幸せブログの続きを書きます。

 

前のブログでは中学入学まで書きました。今日はその続きです。

 

中学に入学し、野球に没頭していましたが、時代も時代、ヤンキーが流行っている時代でした。ものすごい憧れました。でも野球は辞めたくなくて、少しでもやんちゃ感を出すために、野球部だったんで丸坊主に剃り込みを入れたり、登校の時だけボンタンはいたり、だんだん尖っていき、もちろんタバコも吸っていました。自分の時代は、タバコ屋さんで未成年でもお父さんのタバコのお使いだと言えば普通に売ってくれていました。1年の夏ぐらいだったでしょうか、まだこの時期は悪いこともせずに、頑張っていました。毎日書かないといけない日記みたいなものが宿題であったんですが、ある日その日記を忘れてしまい、教卓の前でものすごい怒られ、廊下に出され、担任にボコボコに殴られ、その騒ぎに駆けつけた野球部の顧問にも殴られ、中1の自分が30過ぎの大人に袋叩きです。その時は、日記忘れただけでここまで怒られるのかと思っていました。それからも些細なことでよく怒られ、学校にいくのが辛くなってきました。2日ぐらい仮病で休んだ時に、お母さんが自分の異変に気付き、話してみなさい。すべて話しました。お母さんはすぐ親戚に連絡し、親戚が校長先生の知り合いだった為、親戚から校長先生に、校長から担任に話が回り、担任から親のところへ連絡がありました。

担任や部活の顧問が僕に厳しかった理由がわかりました。小学校の目立ちたがり屋で、

生徒会副会長とか、とにかくみんなの先頭に立つようなことを進んでやっていました。

もちろんその情報は中学校へ流れます。担任顧問は僕が進んでみんなの前に立つ人間だと分かっていたんです。ですが僕は中学生になり、やんちゃを覚え、そんな人の先頭に立って何かをやる事が恥ずかしいことだと思い始め、学級委員をやる子、先頭に立って動くような子をあしらっていくようになりました。そんな僕を見ていた先生が、お前は

そんな人間じゃないだろうと、自分で気づかせる為だったそうです。残念ながら僕は気づけれませんでした。その翌日登校すると、担任に昨日親から聞いた事と同じ事を言われ、とりあえずその問題は解決しました。ですがそこで僕が変わる事はありませんでした。でも世渡り上手と言われてた僕は、先生に気を使いながら、俺は前に出て行くぞ的なオーラを出しつつ、裏では悪い事にも手を出していました。2つの顔を作るのはものすごい疲れましたが、野球をやっている時だけは野球に集中できたので、どんなに辛い練習でも耐えれました。こんな生活が1年間続きました。

 

次は第3章 中学2年を書きます!!

 

ダメ人間 ぶっちでした!

ダメ人間から学べ!!

初めまして!ぶっちと申します!

いきなりですが、ダメ人間でした!幼少の頃はみんなと同じように夢があり、

平凡な幼少期でした。野球が大好きで、夢はもちろんプロ野球選手でした。

小学生の頃、親父が監督を務める少年ソフトボールチームに加入し、雨で練習が中止になれば泣きじゃくるくらい野球、ソフトボールが好きで仕方ない少年でした。

家庭環境にも恵まれ、親は自営業。まをりの家庭よりも少し贅沢な暮らしができる環境だったと思います。親父も地元の自治体から表彰をもらうような、子供の育成環境に長年に渡って取り組んでいました。そんな絵に書いたような家庭に生まれ、何不自由無い環境に生まれました。

 

僕の年齢は38歳です。同じ時代に生まれた方なら、皆一緒だと思うのですが、ゆとりなんて無い時代でしたね笑 

 

今日は軽く僕がどんな人間かを紹介していきます。

 

小学生の頃から非常に明るく、クラスで笑を欲しがる人気者で、友達も非常に多かったです。運動も常に学年トップで、地元の街の大運動会では6年間地区の代表を勤めていました。スポーツが出来、面白い!人気も出ますよね笑

小学生の頃は最初にも書きましたが、野球小僧で、家で遊ぶことがあまりなく、平日でも学校から帰ると常に外で野球して遊んでましたね。

そしてかなりの負けず嫌いでした。

 

ざっとこんな感じです。小学生の頃は普通の小学生でした。

 

中学に入り、もちろん部活は野球部です。勉強は平均でした。可もなく不可もなくな感じで、真ん中でしたね。野球に没頭して、1年生からレギュラーに。中学に入っても

バカなことをしては人を笑わせ、先生を笑わせていました。そこで別の小学校からきた

今でも親友のJ君と知り合います。J君も野球部で意気投合。今まで自分が一番面白いと思っていましたが、初めて自分より面白いかもと言う奴に出会いましたね笑

 

僕のダメ人間から学べブログは、僕が今までの人生を送ってきた超波乱万丈のブログです。今日は生い立ちまでに、明日以降、自分のダメエピソードを書いていきます。

 

ぶっちでした!